昭和44年11月23日 朝の御理解
                            中村良一
御理解 第36節
「日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。」



神信心、一心の出しどころという所ですね。すぐにおかげが受けられると。これは、なんと言っても、魅力的な言葉ですよね。お互い、色んなおかげを持っておる、すぐにおかげを受けられる。ところが、なかなか、実際は、すぐにはおかげは受けられるという事になっていないんですよ。ね。二代金光様、四神様、四神様のお話の中に、神信心せよと言うと、すぐに拝みだしますわいと言う、その言葉があります。信心をせよと言うと、すぐ拝みだすと言うのです。ね。信心のね、拝むことも勿論ですけれども、いわゆる、神信心というのは、拝みだすことじゃないと言うことを、その言葉の中に感じられますですね。もっと他に、本当の事がると言うことなのです。信心せよと言うたら、すぐ拝みだしますわいと。ね。ですからその、拝みだすことに、一心になったり、ただ、お参りをすることに一心を立てたりと言うのでは、すぐにおかげが受けられるという事になってこない。ね。それは、一心を出さなければ、朝参りも出来ません。また、拝むからには、ね。やはり、雑念、邪念と言った様な物を取り払って、いわゆる、一心に、神様に打ち向こうたら、例えば、話し声を聞くようじゃ、神に一心は届かんと。後ろから、槍で突かれても、振り向いてはならんと仰るような、御祈念をさせてもらう者の、ひとつの態度といったようなものも、やはり、大事ですけれども。四神様の、そのお言葉を頂きますと、そういう事が大事じゃない。もっと他に、大事な、信心、神信心は、もっと他にあるという事を感じます。神信心をせよと言うと、すぐに拝みだしますわい。
ここに、すぐにおかげが受けられると言う、神信心とは、ね。または、ここにある一心とは、どういうところに焦点を置いて、一心を立てたら、すぐにおかげを受けられることになるかと。皆さんも、ここまで、私が申しますと、もう、お分かりだろうと思います。それどこじゃない、ね。拝むことだけに、拝むことやら、参ることに一心を立てたと。立つると言うだけでは、すぐにおかげになるという事にならんという事が分かるだろう。ね。やはり、何と言うても、信心と言うのは、ね。日々の改まりが大事であり、本心の玉を磨くものぞやと仰るから、ね。改まるという事に、本心の玉を磨くという事に、一心を立てたら、すぐにおかげが受けられるだろうと、皆さん、分かられるでしょう。ね。ですから、そこまでは、皆が、もうここでは、朝の御祈念でもお参りをして、日々、御理解を頂いておられる方達なら分かるだろう。ね。お話を、私が、今日は、神信心も、この一心を出すと、すぐにおかげが受けられると。ね。という事を、四神様のお言葉を借って申しましたら、ぴんと来る。なるほどそうだ、参ったり、拝んだりする事だけに一心じゃいけん。一心では、すぐにおかげを受けられるという事にはならない。ね。それで、信心の、一番大事なところは、何と言うても、日々の改まりが第一と。信心とは、本心の玉を磨くものであるという事を、皆さんは、そこらへんは、十分、分かっておられるとこだろうとこう思いますね。皆さん、そうでしょうが。四神様のお言葉を借りて、ね。神信心せよと言うたら、すぐに拝み出しますわいと。はぁ、ほんなこと、そうだと、御理解頂きながら、すぐ感じられるでしょうが。ね。だから、感じられるという事は、もう、皆さん、知っておるという事なんですよ。ヒントを、ぽっと与えたら、すぐ分かる。はぁ、先生が、次には、どう言おうとしておるという事すらが分かる。そうでしょう。ね。
先生が、次にはもう、どう言おうとしておる事が、例えば、分かっただけでは、おかげにならんのです。そこにね、そこに、一心を立てる。もう信心な、改まる以外にはないんだと。その事を通して、願っていく以外にはないのだと。ああでもなからなければ、こうでもない。もう、ここ一つに絞ることなんだと、一心を立てたら、私は、すぐにおかげが受けられると思うね。分かっておって、それこそ、すぐに拝みだすことになるのじゃないでしょうかね。言うならば、改まるとか、磨くという事に、一心を立てずに、拝み出しますわい。改まるとか、磨くという事は、条件にせずに、ただ、一生懸命に拝んで、その事のおかげを、どうぞ下さいと言うて、拝んでおるという事が、大体、実情じゃないでしょうかね、お互いの信心の。
どうぞ、どうぞ、おかげを頂かせて下されという事がです。どうぞ、その事を持って磨かせて下さい。ここが改まらなければ、自分が、おかげの受けられん事は分かってる。だから、そこに、一心を立つるところからです。普通では、普通ではないです、普通では、改まられない事でもです。一心を立つるから、改まられるのです。また、どのような問題があってもです。ね。一心を立てて、ね。磨くという事が、心の玉を磨く、本心の玉を磨くという事が信心だと分かったらです。もう、そこには、問題がなくなるです。その事を通して、磨かせて下さるんですからね。
私は、本当に、ここんところをですね、もう、この三十六節を、もう繰り返し繰り返し、二三日前も、ここを頂きましたよね。一心を出すと、すぐにおかげが受けられるという風に仰る。教祖の神様は、決して、嘘を仰っておられるはずはないのだと。ね。けれども、すぐにおかげが受けられんとするならば、これはまぁだ、自分の一心が足らんと悟れと言う様なところまで、この頃、頂いておりましたですたいね。おかげを受けられんなら、まぁだ、自分の一心が、まだ本当のものじゃないんだと、悟らせて貰う。ね。だから、今日は、そこん所をです、ね。もうすごく、ここに、神信心とあるは、または一心を出せと、すぐにおかげが頂けれる一心とは、ほんなら、どこに焦点を置いて、一心を立てるかと。そして、ほんならこう、例えば、四神様のお言葉を聞くと、すぐぴんと来るんです。私もそれを、ぴんと来たんです。ね。神信心をせよと言うと、すぐに拝みだすという。と言うて、まぁ言うならば、笑うておられるところでしょうね。もう本当に、信者ばかりが、おかげ下さい、おかげ下さいと言うて、言うて参ってくるから、しっかり、その、神信心せよと言うと、もう直ぐ、いわば、いわゆる、すぐ御祈念にかかると言うのである。すぐ拝みだすと言うのである。そして、どうぞ病気を良くなして下されと言うて拝んだり。商売繁盛のおかげを頂かせて下されと言うて願うたり。家庭の中の円満を願うたり。どうぞどうぞと、平穏無事を願うたり。そげん、すぐ拝みだす。そういう事では、おかげは受けられんぞと言うお言葉が、その、言葉の裏にあるのですから、それを聞きよって、すぐ、私共も、合楽の人達は分かる。ほんなこつ、そうだと。神信心ちゃ、拝むこっじゃない。拝むことも勿論ですけれど、ね。そして、そこまでお話を頂いてまいりますとです。ほんなら、次に先生が、何を言おうとするからという事が、すぐ分かるくらいに、皆が、分かっておる事なのである。ね。次には、改まれであろう。次には、磨けであろうと。ね。ですから、私共が、その、その改まるという事に、一つ、いよいよ、磨くという事にです。一心が立てられたらです。すぐにおかげが受けられるのですよ。神信心とは、それなんです。その辺の所の、いわば、神信心という事が、拝んで、自分の願いを聞いて貰うという事。神信心とは、本心の玉を磨くこと、改まることと、分かっておるけれども、そこん所を、すっきりと、一心を出していくという事が難しいのです。難しいように思うんですね。その証拠に、すぐにおかげになってない。
そこで、私が思うんですよね。もう簡単な事。信心とは、本心の玉を磨くもの。信心とは、日々の改まりが第一。そこに、一心を立つれば、今まで、何回も何回も、改まろうと思うておった事が、改まれなかったが。一心を立てるから、今まで改まれなかったことが、改まれるのであり。そうだと分からせて頂くところに、ね。その例えば、事柄と言うか、難儀と言うか、その難儀を通して、その難儀をもって、いよいよ、本心の玉を磨こうとこう言う。神様、この様にして、私をお引き立てくださるのだ。神様は、この様にして、磨かせて下さるんだと分からせて頂くところに、問題はなくなる。ね。
そこでですね、その事が、言うには安くて、実際に、行うに難しい事ですが。けれども、そこん所を、どうかして、何とかして、そこに一心が立つようなお繰り合わせを願わなければならないところに、日々の信心、お参りが大事であり、日々の、いわゆる、御祈念が大事になって来る訳なんです。ね。時々どん、拝みよってから、そげな一心が立つ筈がなか。たまにでん、参って来よってから、そんな一心が出る筈がない。ね。毎日参り、毎日、それこそ、一時間でも二時間でも、ね。拝んでいくうちにです。心が安らぎ、心が清まっていくような思いがする。そして、信心のありがたさと言うのは、これだと、拝みながら感じさせてもらう。だから、その事を、日常生活の上にも頂いて行けたら、どんなに素晴らしい事であろうかと思う。ね。だから、それを、日常生活の上に現すというか、頂いて行く為にはです。ね。みなからして貰わなければ、改まらせて貰わなければならんという事が分かります。ですから、やはり、その事に、やはり焦点を置いて、その事に焦点を置くことによって、一心のお参りも出来る。一心の御祈念も出来るという訳なんです。ね。そこで、私は思う。日々、ここで信心の稽古をさせて頂いて、毎朝、朝の御教えを頂きます、御理解を頂きます。ですから、せめて、ここのところには、一つ、一心を立てて見なければならない、立てなければならない。と言う事はです、ね。教えを頂くという事。ね。教えを頂くという事に、一心を立つる。また、頂いた、そのおかげをです。今日は、この教えをもってと、いう所に、一心を置く。ここが出来なければ、私は、改まるという事の上にも、磨くという事の上にもです。ね。そのものずばりに、信心とは、本心の玉を磨くものだと。そのものずばりに、信心とは日々の改まりが第一じゃと。もう絶対にそうだ。確かに、そうだと思うです。皆さんも、そう、何回、思われたかも知れんでしょうが。ね。けれどもそこに、一心を立てるという事は、その様に難しい。今、お話してまいりました様に難しい。そこで、お参りをすることにも、拝む事にも、一心になって、それでも、なおかつ難しい。ね。そこで、それを、段々、容易にするために、ね。それを、段々見やすい、見やすく、みやすくというが、自然のうちにです。そこの所を、自分の物にしていくことのためにです。教えを聞く事の楽しみ、教えを守ることの楽しみ、教えを守ることの楽しみ、同時に喜び。だから、ここに一心を立てる。これは、案外難しいことじゃないんですよ。一心を立てたら。ね。今日の御理解を頂いた、今日の、ここんところを、今日一日の支えにしよう。今日一日、ここんとこだけは、本気で一つ、守らせて頂こうという所に、一心を立てるという事はです。さほど難しいことじゃないです。ね。一心は。これを、この一心を立てよう。ね。
だからね、本当に、四神様が仰るように、神信心せよち言うたら、すぐ拝みだしますわいと、ね。ただ、拝みだしますという事は、自分の、言うなら、我情我欲を並べ立てることだけに、一生懸命、拝んでおるという様な信心では駄目だと。ね。信心の、本当の所に、一心を置けと。間違いないところに、ね。磨くことに、改まることに。ところが、実際、磨くことに、改まることに、そうだとこう分からせて貰うけれども、実際は、それが、非常にやはり、難しいことが分かる。とても凡夫じゃ出来んと思うごと難しい。生来、頂いてきた性格なら性格、これじゃ、自分が、おかげの受けられん事は分かる。けれども、自分の、もう、身に心に染み込んでおるものですから、改まることが、なかなか難しい。もう、匙を投げたいほどに難しい。ね。けれども、それは、一心が出てないから、改まられんのであり、その事をもって、磨くという事に、本気になれんから、何時までも、問題が残っておるのである。ね。しかし、出来る人があるかも知れんけども、私は難しいです。やはり、そんなに難しい。ね。
そこで、私は、そこで考えた。ね。その、例えば、いよいよ、信心の、その一番大事なものを、容易たらしめるために、本気で、教えを頂くことの楽しみを、分らせて貰おう。その教えを守らせて頂くことの喜びを体験させて頂こう。その事にだけは、一心を置く。その事だけには、もう、いうなら、一心不乱。今日はもう、この事に一心不乱。これはね、私は、出来るんじゃないかと思うんですよ。その事に一心を立てる。ね。いわゆる、本心の玉を磨くという事にも、改まるという事にも、観念は持っておっても、そのものずばりじゃないですけれど、ね。遠回しにですね。段々、段々、それに触れてくるおかげが受けられてくる。同時に、教えを頂くことに、一心になる。
本当に、不思議な事を、私は思うんですよ。毎日、お参りをして来るんですねぇ。そして、御理解を頂いて行こうとしない。そんな人があるんです。御理解を頂く、いわば、楽しみを持たない人です。それではね、それを守ろうなんていった様な事は、なおさら出来んのです。ですから、どういう事になるかと言うと。四神様が仰る。すぐに拝みだしますわいの部類になって来るんです、そういう人は。御理解だけは、非常に、もう合楽では、もう御理解が楽しみち言うてから、参ってくる人があるです。ね。けれども、それを、ほんなら、それを行じていくと言うか、行の上に現して、それを守らせて頂こうという事には、非常に、まぁ、薄い考えしか持っていない。話を聞くことだけには楽しみをもっとるけれども、それを守る喜びというものを、持ってない人がある。ね。やはり、拝みだしますわいの部類になって来るです。ね。今日は、そんところに一つ、いよいよ、焦点を置いてです、ね。神信心も、この一心をだす、すぐにおかげを受けられると仰せられるのですから。ね。ほんなら、その一心という事に、拝むことに一心でもなからなければ、お参りをするという事に、一心でもない。ほんなら、新しい一心を出さなければ、お参りも出来ません、拝むことも出来ませんけれど、ね。それよりも、大事な事は、ね。御教えを頂くという事に、一心をかける。そして、その御教えのなかから、今日は、ここを頂かせて貰うと。自分の心に、堅く頂いて、それを、一心を持って、その日一日のあり方の上に、現して行こうという一心。必ず、私は、すぐにみかげが受けられるという体験がえられると思います。ね。
そこに、教えを頂く楽しみ、教えを守らせて頂く喜びと言うものがです、ね。日々の、一心にお参りをしたり、拝んだりしておるなかに、頂けていく。ね。そこんところが分からせて頂くと、拝む事の内容も変わってくる。お参りをして来ることの内容も変わってくる。ね。それこそ、銀行に、お金を預けげ行くのと、銀行にお金を借りに行くのとの違いぐらいに、同じお参りでも、内容が変わってくる。生き生きとしたものが生まれてくる。ね。まぁ、最近の、ここの信心の、その時その時に、まぁ何ち言うですかね。現在、今は、合楽には、どういうところに焦点を置いておられますかと、もし聞かれたら、そん時、そん時に違うようですね。今、ここんところに、一生懸命、御理解が、ここんところに、何時も焦点を置いて、御理解を頂くという様に違うでしょうが。
最近は、私は、何と言うても、地真水心だと思うですね。ね。地の真、水の心と言うのですよね。それは、勿論、いわば、その天真爛漫と言う、それはもう、ここの合言葉のように言われる、限りなく美しくなろうと言う。それは、いうなら、分かり過ぎるくらいに分かっておる。また、その事に、一生懸命に、これから、ヒントを与えられなくても、はぁ、ここんところが、美しゅうなるところの、限りなく美しゅうならせて頂くところは、ここだと、もうこれは、お互い、すぐ、そこんとこだけは、ぴんとくるです。ね。だから、その天真の心に、最近では、地真水心と、地の真と。真、真と言うて、真を求めての、お互い、信心させてもらっておるが、ね。大地の持つ性格、そのものが真なのだと、最近は頂いておる。ね。そこに、例えば、器に従う水の心。そういう心を、私共の、日常生活の上にです。いよいよ、素直にならせて頂こうと言う、地真水心と言うものがです。その、天真爛漫に、もう、当たり前のこととして、それが、自分の信心に、染み込んでしまう、おかげを頂かなければならんと言う、御教えを頂いておるんですね。最近は。それに、もう一つ、例えば、ほんなら、今日は、一心を立てると言うことに、ね。参ることも、拝むこともだけれども、むしろ、そこん所は、今日、四神様のお言葉を借りると、ね。神信心せよと言うたら、すぐに拝みだしますわいと仰るから。拝みだすことは、第一、第二、第一じゃない、第二第三でもいいから、ね。教えを頂くという事に、一心を立てる。ね。その、教えを頂くことに、楽しみを持ってくるのですから、眠くなるはずがない。同時に、その教えをです。今日、一日の支えとして、今日の御理解の中の、ここんところだけは、頂いて帰って、家族の者に、今日は、これで行くぞと、ね。その前に、ここにございますね。大工を雇うても、棟梁がなければと、こう言うておられますがね。私は、お互い、家の中にも、信心の棟梁がなからにゃいかんと思う。ね。そこで、教えを頂く、その楽しみを、帰ったら、また、家族の者に伝えられるチャンスを頂いたり、または、今日は、家中、これで行くよと、それこそ、棟梁がです。今日は、こことここと、ここんところをやってくれと。こげん大工さん達にも言う様にです。今日は、これで行くぞと。今日は、家中は、これで行きますよと言う様なです。私はその、采配が振れるくらいな、棟梁振りを一つ、お互いが、お参りをさせて頂いておる者が、発揮していかなきゃ行けないと思うね。また、家の者もです、今日は棟梁、どこんところを仕事しますかと言うようにです。今日はお父さん、とういう御理解でしたか。今日は、どこんところに焦点を置いたら良いですかと、例えばこう、そういう、息の合った、ね。信心の家族と言うかね、家庭と言うものが、その様な風にありたいと思います。ね。一家中の者が、今日の御教えを焦点に、一日のおかげを頂けれる。そこに、私は、すぐにみかげが受けられると。そこに、すぐに体験が生まれてくる。その体験が、また、ね。夜の御祈念なら御祈念の時に、話し合えるような、私は、おかげを頂いて、楽しさと、ね。または、有難さとが一緒に頂けていけれる。そういう楽しさ、有難さをもってです。いわゆる、いよいよ、確信であるところの、本心の玉を磨くという事に、または、改まるという事に、ね。じわじわ、それに、寄って行けれる、ね。そして、もうとにかく、信心とは、改まること以外にはない。信心とは、本心の玉を磨く以外にはないと、と言う確信が出来たところからです、ね。そこに、一心を立てたら、いよいよ、すぐにおかげが受けられるという、おかげが頂けると、私は思うんですね。皆さん、十分、その辺の所を、分かっておられるところなんです。ね。
今朝の御理解を頂かせて貰うて、お互いが、その一心を出すと、すぐにおかげが受けられると言う、その一心の立てどころが、間違っておっては、すぐにおかげという事になってこない。どうぞ、すぐに、おかげを受けられると仰る、教祖様のお言葉をです、ね。私どもが、信じさせてもらうなら、ね。一心を立てるというところにも、ね。間違いのないところに、焦点を置かなければならんという事を、今日は、四神様のお言葉を頂いて、まぁ感じ着かせて頂いたような気が致します、私自身。皆さんも、そこん所を一つ、今日は、焦点を置いて頂きたいと思いますね。どうぞ。